世界の笑いものになるであろう「10・31」 応益負担を真髄とする障害者自立支援法の成立に思う

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■腹立たしく、抗議の気持ちでいっぱい

 先週の金曜日夕刻、衆議院厚生労働委員会において障害者自立支援法案が原案通り与党の賛成多数で可決されました。そして、本日(2005年10月31日)の午後一時からの衆議院本会議において成立をみました。ふり返れば、直接のきっかけとなったのが昨年一月の、厚労省による「介護保険と障害保健福祉施策との統合」方針の発表でした。以来、一年10ヵ月にわたって長いあいだ運動が続けられました。今年の5月12日には6,600人が、7月5日には11,000人の関係者が東京・日比谷公園に集いました。とくに7月5日には、わが国の障害分野史上初の「11,000人国会デモ」が行なわれました。また、地方においてもかつてない運動の盛り上がりがみられました。ほとんどの都道府県で独自の取り組みが企画され、わけても団体を超えての連携は目を見張るものがありました。
 きょうされん加盟の仲間たちも、積極的で果敢に運動に関わってくれました。前述の大集会や国会デモ、また各種の地方での集会や企画にもたくさんの関係者が参加しました。参加だけではなく、準備面でも中心的な役割の一翼を担ってきたように思います。おそらくは、きょうされんとしても歴史に残る運動になったのではないでしょうか。
 こうした大きな運動にもかかわらず、国会は私たちの意思を踏みにじりました。立法府に対しての微かな期待も叶いませんでした。腹立たしく、抗議の気持ちでいっぱいです。たしかに成立をみたことは間違いありませんが、「法案の誤り」まで受け入れたわけではありません。私たちは、引き続き「法の誤り」を正していくための運動を繰り広げていかなければなりません。自立支援法の成立は一つの区切りとなりますが、同時にそれは新たな運動の始発点をも意味します。「法の誤り」をどんな方法で正していくのか、運動の形態をどうするのか、これらについては関係者と十分に相談しながら、またきょうされんとしてもじっくりと考えていこうではありませんか。


■改めて応益負担問題に焦点を

 「法の誤り」を正していくためにも、改めてその問題点をおさらいしておく必要があります。基幹的な政策課題がことごとく省かれていることや、「医療と福祉」や「子どもと成人」の機械的で強引な一元化など問題点は尽きませんが、わけても看過できない最大の問題点は「応益負担」の導入です。国際的にみても例をみない応益負担の導入であり、その意味では10月31日(衆議院本会議での法案成立日)は「世界の笑いものになった日」、こんなふうに言っていいのではないでしょうか。
 そこで、応益負担の問題点を改めて記しておきます。この問題点をしっかりと心に刻んでおくことが、「法の誤り」を正す運動の羅針盤となり、エネルギー源となっていくはずです。
 その第一は、たとえ一割の負担とはいえ、「障害」を自己の責任とする考え方には合理性がないということです。誰も好んで障害を受けたわけではなく、結果的にみて、また本人からすれば不可避的であったのです。不可避的な問題だとすれば、当然ながら社会全体で支えるべきであり、具体的には「障害」による不都合・不利益については公的な支援策が講じられるべきです。
 第二は、障害が重くなるほど負担がかさむという問題です。「障害が重い人」、それは言い換えれば「ニーズが多い人」といってもいいと思います。新法の事業では、サービスごとに(介護給付、訓練等給付、自立支援医療、各種の補装具)に負担が加算されることになります。ニーズが多い人ほど、受けるサービス量が多くなる人ほど負担が増えるというのが新法の仕組みなのです。
 第三は、障害の原因とも関わる「機能障害」を改善(または維持)するための医療支援にも負担を課すということです。精神科の通院医療費や育成医療、更生医療について、軒並みこれまでの支援水準が後退してしまいます。命に関わる問題でありながら、福祉施策との一元化の必要性を言い分に、機械的で強引なまでの「一割の定率負担」が導入されています。医療と福祉とは目的も手法も異なるはずであり(むろん連携は必要)、子どもと成人の関係同様安直な共通化には重大な問題があります。
 第四は、相変わらず家族依存の考え方から脱却できていないということです。応益負担に基づく本人負担額の算定に当たって、本人の所得が不十分であれば同世帯の家族にまで負担が及ぶのです。税の優遇など既に講じられている各種の支援策を放棄すれば、家族への負担が及ばないという道が開かれましたが、全体として世帯負担を前提としている考え方には変化はありません。


■社会保障の最低基準にも影響

 第五は、支払おうにも支払う金が無いということです。多くが障害基礎年金の受給者で、せいぜい、働く場での工賃が一万円前後加算される程度です。要するに、現在の収入実態から着実に毎月15,000円から40,200円分の出費が増えると言うことです。言い換えれば、年金額が出費分だけ目減りすると言ってもいいのではないでしょうか。所得保障の確立を唱えてきた私たちですが、明らかにこれに逆行することになるのです。 
 第六は、就労の場からも負担しなければならないということです。授産施設(事業名称は変わりますが)で働く人が、毎月一方で工賃をもらいながら、他方で応益負担相当額を支払わなければならないのです。現在の工賃実態からみて、多くは工賃より支払額が多くなると見込まれます。働いていてどうして費用を負担しなければならないのか、社会通念からみても、就労意欲を維持していく上からも、おかしな話です。懸命に働いている障害のある人びとに説明ができないのではないでしょうか。
 第七は、各種の新規事業の報酬基準等に影響が懸念されるということです。具体的には、例えば就労継続支援事業の非雇用型でいうと、職員の配置基準は「利用者10人に対して職員1人」、こんな案が内々でつくられています。簡単に言えば、「利用者にも負担をしてもらうのだから、職員や事業所全体としても我慢してもらわなければ」というもので、各種事業に対する負担(補助)基準の低下が現実のものになりそうです。
 第八は、新たな負担策に対して「きめ細かな策を講じている」と言いますが、これらはすべて3年間の時限策でしかないということです。まさに、一時的な激変緩和策でしかなく、本質的な解決策にはなっていません。
 第九は、わが国の社会保障政策全体への影響が心配されるということです。生活保護受給者と比べて、より厳しい条件に置かれている障害者が応益負担に応じるとなると、当然のことながら生活保護制度など、他の社会保障制度の見直しに波及しかねません。わが国の社会保障制度の最低基準に関係してくる可能性があるのです。そういう点では、応益負担の問題は、障害分野にとどまらず、この国の社会保障や社会福祉の形に関わってくる問題なのです。
 以上、応益負担の問題を概観してきました。これから毎月毎月、それぞれの作業所で利用者が現金を支払うことになります。お金が無い利用者は作業所を休みがちになり(現状の案では、出勤した分だけ支払うという方式が考えられている)、あるいは作業所側が「おまけ」する、こんな光景が展開されるのではないでしょうか。月々の支払日が巡ってくるたびに、「どうしてこんな制度になってしまったのか」「誰がこんな制度に賛成したのか」、ずっとずっとこんな思いが続くに違いありません。もちろん、私たちは「法の誤り」を、そして「応益負担のおかしさ」を厳しく追求し続けていきたいと思います。

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このページは、takeuchi2005年10月31日 00:00に書いたブログ記事です。

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